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「フィジカル」と「デジタル」のあいだで (2) 「Web2.0」から「Mobile2.0」へ

2006年3月24日 掲載

渡辺保史

「Web2.0」から「Mobile2.0」へ

携帯電話をめぐる閉塞感

情報デザインとは、世界に存在する2つのギャップを埋めるための技術である。その2つのギャップとは、まずこのコラムの表題にもある「フィジカル」な実空間と「デジタル」な情報空間の間にあるギャップが一つ。もう一つは、日常的な人々の経験に根ざした「生活技術」と専門特化された「社会技術」との間にあるギャップである。情報とデザインという、ありふれた2つの単語が掛け合わされた分野とは、こうした2つのギャップがクロスする領域に向き合い、そこで生じる様々な問題に光を当てて、その解法を探ることなのではないだろうか。

今回は、そうした2つのギャップのうち前者について、特にモバイル=携帯電話をめぐる未来像ををテーマにすえたいと思う。「DESIGN IT!」には、デザインとITの融合による恩恵が、「いたるところに=everywhere」そして「なんにでも=everyone」与えられるような(つまりはユビキタス)状況を目指す、という含意もある(昨年のプレカンファレンスをめぐって行った篠原稔和氏と私とのダイアローグを参照されたい)。だからこそ、もっとも身近なユビキタスへの入口であるモバイルについての、あまり指摘されていない課題について考えたいのだ。

一昨年(2004年)から私は、半導体メーカーのルネサステクノロジが主催する「SH-Mobileラボ」という研究プロジェクトに関わっている。携帯電話に代表されるモバイルメディアの近未来ビジョンを、技術やビジネスからだけでなく、文化やデザインといった観点から改めて構築してみようという趣旨のもと、様々な人々と議論し、協働してきた。活動についての詳細は「SH-Mobileラボ」ウェブサイト [shm-consortium.renesas.com] をご覧いただきたいが、2005年度には私たちが考えたビジョンを実体化させる概念的なプロトタイプづくりもおこなった。

この活動に関わるようになって強く認識するようになったことだが、携帯電話は、10年ほどの間にあまりにも急激な普及浸透をとげたが故に、十分に時間をかけてその本質的な可能性と課題をめぐる実践的な考察がなされていないのではないだろうか。確かに、通信キャリアや端末セットメーカーやコンテンツプロバイダなどの関連産業の中では、ビジネスモデルの模索や新たな技術開発が進展し、多彩な機能とサービスの恩恵を多くの人々が受けてはいる。もちろん、私だって例外ではない。しかし、にもかかわらず、どこかで携帯電話の状況に閉塞感を感じてしまう自分がいる。インターネットの世界で、ウェブが爆発的に広がり、さらに現在Web2.0という大きな変化のただ中にいる感じとは異質の、「閉じた」印象を拭い去れないでいるのだ。

個人のメディア環境を変える起点

国内だけに限っても9000万台——つまり、成人のほとんどすべて、そして10代の大部分にまで浸透している——という携帯電話が、これまで存在していたどんなメディアをも量的に凌駕していることは、実に驚くべきことだ。これだけのメディア端末が、個人生活、そして社会活動の中に浸透していること。今や、モバイルはあらゆるメディア環境を個人の側に引き寄せ、コントロールするインターフェース的な存在へと進化しつつある——別にこうしたことは、技術者やビジネスマンや有識者のみならず、日常的にケータイを使い込んでいるユーザ-ならば誰でも気づいていることだろう。

メディア環境の急激な個人化。これが意味することは果たして一体何なのだろうか。テレビ、ラジオ、新聞、書籍、CD(レコード)、電話……コンテンツとプラットフォームとインフラとが分ち難く結びついた既存メディアの存在様態は、携帯電話の急激な普及によって大きく変容しつつある。ケータイにそれらのインターフェースが収束しつつある状況下にあっては、もはやメディアの未来的な進化へ向けた起点は完全に個人の側にある、といっていいのかもしれない。

ただし、個人というものをどう捉えるかによって、このメディアの進化の過程を想像=創造するパスは大きく異なっていくだろう。残念ながら、私が見る限り、携帯電話関連のビジネスは、単に個人をあくまでも情報消費者、サーバーからサービスを選択的に受け取るだけの享受者としてのみ捉え、現状追認のまま進んでいるように思えるのだ。こうした状況に対して、ユーザーもビジネス側も無自覚にこのモデルの有効性、永続性を疑っていないように、私には見える。

音楽をダウンロードする、電子マネーを使う、ワンセグ放送を見る——これらのサービスが無意味であると批判しているのではない。ただ、携帯電話は20世紀型の高度消費社会的なパラダイムをいまだに引きずり過ぎ、現状追認のまま未来へと向かっていないだろうか。そして、PC主体のインターネットの世界の方が、Web2.0的なパラダイムへと進化してきているにもかかわらず、携帯電話の側にはまだそのインパクトが及んでいっていないのではないだろうか。

「Web2.0」的コンセプトの拡張へ

Web2.0的なコンセプトがこれからネットの隅々に浸透していくのに一体どれくらいの時間がかかるのか、確実なことは言えない。だが、それがこの数年内に急速に進むとしたら、その波が行き着く先は、ネットの「こちら側」つまりはフィジカルな実世界であることは間違いない。人間が、フィジカルな身体と環境の中で生きている以上、それは当然のことだろう。そして、フィジカルとデジタルの間にある界面(まさにインターフェース)として今のところ最も身近な存在である携帯電話が、こうした動きの中に的確に位置づけられていくのかどうか、それは非常に気になるところだ。

ユーザー自身による情報、知識の能動的な選択、発信、編集、評価を可能にしようとするWeb2.0的なコンセプトは、私に言わせれば、「この世界のすべてをコンテンツ化する」ことを目指すものだ。その中で、Googleに代表されるネット企業は、この世界に遍在するコンテンツを個人が自分の手元に引き寄せ、そこで新たな価値へと組み換えていくための手立てを供給する、ある種の「公共情報財」のような色彩を濃くしていくだろう。

これに対して、サーバーからコンテンツを供給することを主眼に置く消費型サービス全盛のケータイビジネスの現状は、言ってみれば「Mobile1.0」の段階にとどまっている。ここではまだ、資源の集中や、旧来のブロードキャスト的な配信モデル(ここで言っているのはあくまでも概念的な意味であって、技術的な「放送」システムのことではない。念のため)が有効なのかもしれない。だが、先に述べたようなネットの変容の大波がフィジカルな世界へと押し寄せてこようという時に、そろそろWeb2.0的なコンセプトをもっと大胆に反映させた、「Mobile2.0」の可能性を今から探索しておくに越したことはないはずだ。それに、携帯電話のハードウェアスペックは、既にかつてのPCに匹敵するか、凌駕するまでに高度化している。現在のインターフェースの脆弱さや形状的な制約を超えたデザインの力をそこに加えることができるなら、それは可能であることは言うまでもない。

そして、冒頭で触れた、「SH-Mobileラボ」で試みたいくつかのプロトタイピングは、まさに「Mobile2.0」的なコンセプトを拙速ながら実体化しようとしたのではなかっただろうか、と今あらためて振り返っているのである。

携帯電話をコミュナルに開くテーブル

私自身はこれまで、ラボで議論してきた様々なアイディア群は、次世代モバイルにおいては決して「主流」になりえないだろう、と考えていた。5~10年後もまだ、現在のケータイビジネスの延長線上のサービスが主流を占めているだろうと。しかし、このところのWeb2.0的な世界の急速な拡張を見るにつけ、いずれそれとモバイルやユビキタスはもっと密接に結びつき、新たなパラダイムへと進化するだろうとの確信を深めつつある。

SH-Mobileラボから発信したプロトタイプの一つに、「ubiquiTABLE」(ユビキタ-ブル)がある。文字通り、ユビキタスなメディア環境を象徴するテーブル型の端末だ。ラボメンバーの竹村真一氏(京都造形芸術大学教授)と太田浩史氏(建築家)を中心に制作されたこのテーブルは、カフェや空港のラウンジのような空間に置かれることを想定している。

天板中央にタッチセンサー式の液晶ディスプレイが組み込まれ、そこに表示される情報と、個人が手にするマグカップやタンブラーとの間でインタラクションが展開される。テーブル上には、東京の地図が表示され、どこの誰とも知れぬ人が携帯電話のカメラで撮った街角の写真がちょっとしたコメントとともにカードとなって置かれていく。テーブルを囲む人は、そうした都市をめぐる経験の断片を手元のタンブラーにドラッグしていって溜め込むこともできるし、自分が持っている断片をそこに差し出すこともできる。また、同じようなテーブルが置かれた遠い外国の都市の情報も、その街のイラストが描かれたマグカップを通して東京の地図上に重ね合わせていくこともできる……。

個々の端末に閉じ込められた情報を、テーブルトップというコミュナル(共同的)な場に開くこと。そしてそこで、様々な個人が持ち寄った断片的なコンテンツ同士がある種のコンテクストを織りなして行く——ユビキタ-ブルは、現在集められる素材(技術、デザイン両面での)を組み合わせてつくった非常にラフなプロトタイプではあるが、まがりなりにもWeb2.0的なコンセプトをモバイルの側に少しだけ引き寄せ、現在の携帯電話ではほとんど考慮されていなかった、もう一つの進化の方向性がありうることを、垣間見せることができたと思う。

「重ね合わせるメディア」の可能性

私自身は、こうしたプロトタイピングによって見えて来た新しいモバイルメディアのあり方を、「OLPM」という造語で言い換え、コンセプト映像にまとめた。OLPMとは、「重ね合わせるメディア」(OverLaPping Media)の略。数分間の映像の中では、「虫眼鏡」や「木のテーブル」「旧い公衆電話ボックス」といった非デジタル的なものに仮託しながら、フィジカルな都市空間の背後に隠れている情報を人が能動的にピックアップし、その場で重ね合わせていくようなメディア経験のスタイルを描写している。フィジカルとデジタル、技術と文化、異なる時空間同士の重ね合わせこそが、この新しいメディアの特徴というわけだ。

これらの作業を通して改めて痛感したのは、拡張と多様化を続けるデジタルの世界の特性を、私たちの身体が存在するフィジカルな世界の側にもっと引き寄せ、重ね合わせるために、ITとデザインとが融合しあう新しい方法論が求められている、ということだ。既に、インターフェース研究の先鋭的な領域や、建築・都市デザインの一部には、同様の問題意識をもって取り組み始めている人々は確かに存在する。

しかしまだ、ネットの「あちら側」で起こっているウェブの進化を、「こちら側」のフィジカルな世界の豊穣化のために結びつけようという、具体的な戦略や戦術は十分に立案されているとは言い難い。あと数年でWeb2.0的なコンセプトがネットに浸透していき、次なるコンセプト=Web3.0?の到来が取り沙汰される時。確実にそこには、ここで述べたような「Mobile2.0」的なビジョンが取り込まれ、フィジカルとデジタルのギャップを埋めるための技術やデザイン手法が不可欠になっていると、私は予感しているところだ。

執筆者紹介

渡辺保史

情報デザインをめぐるプランニング・ディレクション・ライティングに従事。智財創造ラボ・シニアフェロー、武蔵野美術大学デザイン情報学科非常勤講師。http://www.nextdesign.jp/


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