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「フィジカル」と「デジタル」のあいだで (5)組織内の「個」を活かすワークデザイン

2006年4月 2日 掲載

渡辺保史

組織内の「個」を活かすワークデザイン

インセンティブからモチベーションへ

今回は、少しばかり「マネジメント」に踏み込んだことを書きたい。といっても、周縁的なトピックから攻めていくことになるのはいつも通りの流れである。

今から13年ほど前、まだ駆け出しのフリーランサーだった頃に、ある大手ゼネコンのオフィスプランニングに関する研究会をお手伝いする仕事をしていたことがある。要するに議事録作成屋だ。今でいうグループウェアも含めた、ITを駆使した新しい空間づくりを考える上で、マネジメントやワークスタイルのデザインが最も肝要である——という至極尤もな共通認識に至ったのだが、ここで仕入れた知見はその後の仕事にも随分と役立っている。

そこで出会った興味深いケーススタディの一つが、リクルートの社内にかつてあった「ワークデザイン研究室」という部署による研究成果だった。この研究室が「モチベーション・リソース革命」というユニークな報告書を発表していた。このレポート、文字通り仕事の「やる気」はどこから生まれてくるのか?を探究した調査。当時は、「こんなレポートが必要なほど、ポストバブル期の仕事をめぐる状況は揺らいでいるのだなあ」などと思ったわけだが、その時の記憶を引きながら今求められているコンテンツマネジメントとの接点について、思うところを書き連ねてみたい。

まず、「モチベーション・リソース革命」の論旨を大雑把にまとめると、こんな感じだ。戦後の企業社会を支えてきた「やる気」を喚起する構造——組織への一体感・帰属感、出世への期待、生活が豊かになる実感……等々——は崩壊してしまった。社内制度を改革しても解決しようのない「やる気」の低下という問題を解決するには、福利厚生や勤務制度、給与体系の改善といった仕事の周辺にインセンティブを高めるのではなく、仕事そのものの中にモチベーションを高める源泉——例えば、「発見や工夫」「役に立ちたい」「仕事の文化性」「知識や技術」など——を活性化させることが必要ではないだろうか……。

分析の視点に疑問もないわけではないが、結局のところ「仕事はツマんないけど、給料はいいし休みもそれなりにあるから……」といった「アメとムチ」的発想でワーカーを釣ろうという旧態依然とした考えはもはや成り立たないのは、この当時でも既に明らかだった。それまで何故か誰も立ち入ろうとしなかった「仕事そのもの面白さ」の追求こそが現状を打破する力であるという点は、当時も今も大いに共感しているところだ。

仕事に込める「燃費効率」の違い

今までのインセンティブ発想は、人間とは本来欠落を抱えた存在であり、そこに量的にモノやサービスを投入しなければ救済されないという「欠乏の哲学」に基づいていた部分が少なくなかった。おそらく、これから重要なことは、成し遂げるべき仕事が向かうビジョンを正しく示し、仕事のプロセスにおける個々人の自律性を尊重し、ワーカーのモチベーションを高めること、それに尽きる。仕事の中で個々人が発見や工夫を試みる、そのプロセスをいかに豊かにデザインできるのか——こうしたワークプロセスに対する敏感なマネジメントがなされている組織は、果たしてどれだけ存在するだろうか? それはこの研究を知った当時も今も変わらない疑問である。

インセンティブではなく、モチベーションへ。このレポートが出てすぐ、インターネットの爆発的な普及を目の当たりにすることになった。そして、このデジタルな空間に、まさにモチベーション先行で突っ走る新しい仕事がいくつも生まれては消えていき、今もそれが続いていることはもはや誰もが知っている事実だ。

当時も今も、ネット上に生まれる仕事というと必ず引き合いに出されるのは、いわゆる「ベンチャー起業家」と呼ばれる人々だ。だけれど、ネットに生まれ始め、今も増殖し続けている新しいワークスタイルを、資本主義経済的な文脈での「成長」「成功」という視点だけで捉えてしまうことには、どうしても抵抗を感じてしまう。

最初のブラウザを開発したマーク・アンドリーセンにしても、Googleを創業した元スタンフォードの2人組にしても、あるいはLinuxのリーナス・トーヴァルズにしても、たぶん彼らの根底にあったのは「世の中にないんだったら、自分で作ってやろうじゃない?」とか「なんかコレって凄く面白そうだよね?」「オレたちだったらもっと凄いのつくれるぜ!」というような想いだった筈だ。1970年代に自宅のガレージでアップルコンピュータを創業した二人組も、そんなノリを共有していたんじゃないだろうか。ここには、いわゆるベンチャー企業の成功物語なんていう紋切り型のラベルでは取りこぼしてしまう、もっと個人的な好奇心とかノリ、衝動性が渦巻いているに違いない。

結果的に、彼らの生み出したものはインターネットというインフラのおかげでアッという間に世界中に浸透した。好き勝手なことしてる連中が面白がって作りだしたものが、組織の中で管理され「部品」化させられ苦心賛嘆しつつ作り出したモノをあざ笑うかのような勢いで人々の支持を集めていく。これは、実に痛快なことだ。組織的な利害関係や、欠乏を穴埋めするインセンティブ発想ではなく、強い個人的なモチベーションが働いているかどうか。これがデジタルな世界での仕事のアウトプットに明らかな違いを見せることになった。要は、仕事に込められる「燃費効率」の違いとでも言おうか、その差が旧来の組織仕事とのワークスタイルを際立たせている点ではないか、と思う。

求められる「編集」「ファシリテーション」型マネジメント

仕事なのか、趣味なのか、オフィシャルなのかインフォーマルなのか、営利的なのか非営利的なのか。今までの言葉では定義できないグレーゾーンに、Web2.0時代の新しい仕事は位置している。そもそも、「仕事」という言葉には、趣味やボランティアや芸術表現まで含めて、「何らかのポジティブな成果を生み出す」という、近代的な「労働」よりももっと幅広い意味が込められていた。そういう観点からすれば、デジタル時代の仕事は、ポスト近代的な仕事のあり方すら示唆しているように思える。

とりわけ、コンテンツのような「生モノ」を発信する行為にとって、モチベーションは何よりも重要なファクターだ。考えてみれば当たり前の話だろう。表現したい、発信したいというモチベーションなしには、価値あるコンテンツは発信されないからだ。

組織の内外の人々をつなぎ、自分の身のまわりに遍在するコンテンツを掘り起こし、それを魅力的なコンテクストへと仕立てあげ、それを他者とともに共有する——こうした行為を厭わないどころか、それ自体に大いなる知的興味や愉しみを感じる人こそが、コンテンツマネジメントというテーマから言えば必要とされる人材なのだろう。そして、そんな人々をマネージする時、この言葉から即座に連想される「管理」「統御」という意味合いではない方法を組織やコミュニティの中で共有されていく必要があるだろう。

一言でいえば、モチベーションをかき立てるマネジメントのあり方が求められているのだ。そうしたマネジメントのモデルをつくるとしたら、そのレファレンスは狭い意味での経営組織の枠組みを超えたところに発見すべきなんじゃないかと私は思う。ネットワークという場所を盛り立て、そこに集う人々の自己表現やコミュニケーションを活性化し、個々人を焚き付けること——そういうセンスやスキルはおそらく、飲み屋やカフェのマスターや、宿屋の主人のようなホスピタリティの高い人々の中に潜在しているかもしれない。メディアの仕事に関していえば、受け手から高い支持を受けている雑誌の編集長や映画監督なんかも、そんな仕事をしている代表だ。雑誌づくりや映画撮影という場=ワークプレイスに集う色んな人達の交通整理をして、それぞれの人達の役目を見極め、彼らのやる気を引き出し、全体としてのクリエイションの燃焼効率を最大に引き上げる。

ネットワークとデジタルメディアを駆使しながら進める組織やコミュニティの仕事ぶりは、ますます雑誌や映画づくりの現場にも似た、専門的な職能がぶつかり合うコラボレーションの様相を強めていくことになることは間違いない。そこでコラボレートするのは、決して一つの組織の中に閉じていて、均質・画一的な人々にとどまらないだろう。極めて多様な能力や才能、文脈に属する人々の集合体になるはずだ。たぶんそれは、コミュニティという言葉に当てはめられる「共同体」という訳語よりも、「共異体」といった方がしっくりくるんじゃないだろうか。

多様性を許容すること、常に外へ向かって開放されていること、そして異質な要素を結びつける中から新しい価値を「編集」していくこと。編集は人間の知的生産における最も重要な行為だが——かつて英文学者の外山滋比古は、「われわれはすべて、自覚しないエディターである」と語った(『エディターシップ』みすず書房刊)——、コンテンツマネジメントの原理にはこれからもっとも、本質的な編集の視点や技法を具体的に導入していくことが考えられるべきなんじゃないだろうか。

執筆者紹介

渡辺保史

情報デザインをめぐるプランニング・ディレクション・ライティングに従事。智財創造ラボ・シニアフェロー、武蔵野美術大学デザイン情報学科非常勤講師。http://www.nextdesign.jp/


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